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ふつう

6月議会で私が取り上げたのは、義務教育課程における担任不足です。6月時点で60名近い教師が不足しており、非常勤や常勤講師に頼ることは勿論、幼稚園の教師に臨時免許を出して担任を持たせている学校もありました。

昨年は、現役の大学生に臨時免許を出して、教科を教えさせるという離れ業を行った学校もあります。元々福岡県は教師の数が少ないということは指摘してきましたが、今年は特に教師が不足した理由として教育委員会は特別支援学級の増加をあげています。

実際福岡地区では普通学校における特別支援学級が急増しており、特別支援学校も、定員の1.5倍近い児童・生徒であふれかえっています。なぜこんなに急に増えたのか、教育委員会の考えを質してみると、特に発達障がいについて認知が広がり、対象と思われる児童・生徒の保護者が個別指導を望むケースが増えているということを挙げていました。

昔はどれくらいの子どもたちが今でいう発達障がいだったのでしょうか?この分母は変わらず、認知が広がったことが障がい児といわれる子どもの数を増やしている原因なのでしょうか。それともその分母自体が増えているのでしょうか?

 

しかし、発達障害といわれる子どもたちは、区別して指導しなければならないのでしょうか?他人とうまくコミュニケーションをとれない、空気を読めない、じっとしていることが苦手等々発達障害の例などを見ると、私の同年代にも沢山いたような気がします。しかし個別指導するまでもなく、一人の個性として教師もクラスの子どもたちも自然に受け止めていたように思います。いわゆるいじめという現象は、私が中学校位から言われるようになりました。そのいじめの対象になる子どもの多くが発達障がいだといわれています。

 

子ども一人ひとりが何が得意で何が不得手なのかを周りの大人が知っておくことは必要です。苦手なことが何故できないのか、その原因が障がいにあるとしたら、他の子と同じ方法でそれを克服させることは困難です。医療が発達したことで子どもにあった対し方を考えることができるようになりました。でも実際に区別して子どもを教育する必要があるのでしょうか。一緒でいいという場合も多いのではないでしょうか。

 

触られるのが苦手、大きな音が苦手、だからふつうではない、そう区別することは、大人が始めたことではないでしょうか。

しかし、実際に社会に出ると実は様々な困難抱えた大人がいます。特に発達障がいは知的に問題のない人も多く、両親はおろか本人もそれを自覚しないケースが多々あります。最近私の親友が「私は自分が発達障がいだということにやっと気づいた。」と言っていました。彼女は日本でも5本指に入る優秀な大学を出て、自分で事業を起こし、経営者として大変な才覚を持っています。ただ、昔から時間の管理が苦手で、後5分で出発しなければならない時になって爪の手入れを始めたり、別に慌てることもなくゆっくり行動していたり、なんで?と思う事がしょっちゅうありました。本人も色んな事をしようとする自分がコントロール出来なくて困ることもあったようです。昔はそれが原因でケンカしたこともありました。しかしそれ以後私の方から「後10分だから5分以内に荷物のパッキングを終わって鍵をかけておいて」などと具体的に言うようにしています。そういうと「わかってる!」と怒られますが。

 

自分はフツウで相手は変ではなくいろんな苦手があって当たり前、そういう社会を作ることの方が、子どもを区別して個別指導をするよりよほど現実的な教育ではないでしょうか。

| ミホ | 15:02 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
夏の思いで

気が付いたら8月が終わっていました。今日は本当に久しぶりの休みです。

昨年の選挙直後から臨時議会・各種集まり・6月議会・海外視察と続き、その直後骨折して市議会時代の様々な資料を整理できておらず、今日恐る恐る手を付けると、何とか形が付くまで4時間以上かかりました。今一息ついてこの二回の夏を振り返って、なんて慌ただしい日々だったかと感じています。昨年の夏は入院を一週間で切り上げ、無我夢中で松葉杖をつきながら各所を回らせていただき、今年の夏は昨年回れなかった夏祭り巡りや初盆参り、母の家の引っ越しがあって、やはりバタバタした夏でした。

 

最近は見なくなりましたが、昔は3時ごろになると青空にモクモクと大きな入道雲が表れ、あっという間に雨が降り出し、三十分程度であがって再び青空が広がるという光景を毎日のように見ていたように思います。父や母がよく「庭に水まきをしなくてすんで助かった」と言っていたのを思い出します。それは人間にとってだけではなく植物にとっても恵みの雨であったと思います。夏は野菜が美味しい季節で、体を冷やす効果のあるキュウリや日焼けを軽減するリコピンの入ったトマトなど、夏の体によい野菜があちこちの畑に生っていました。このところそういう自然と人間の優しい付き合い方が減ってきているのではないでしょうか。

 

その自然の中では「生老病死」は避けることが出来ないものです。

昨年は身体的に無理でしたが、市議会時代も含めて、私はあまり初盆参りをしたことがありません。

私の父の初盆の時、家族のほとんど面識がない偉い方がお見えになっても、相手も急いでおられるしこっちも話題が続かずきぶっせいな思いをしたということもありますが、議員は初盆に香典を持って行くことを法律で禁じられているため、何となく引け目を感じるということもあります。しかし、今年は親しい方の近親者の方の初盆が多く、各ご家庭にお参りに伺いました。

相手の死を少しずつ受け入れて立ち直ろうとしている方、未だに受け入れられず呆然としている方など亡くなった方の年齢もありますが、遺族の方々のありようも様々でした。

 

このブログにも何度か書きましたが、私も50を過ぎたころから「死」について考える事が増えてきました。

もし私が今余命宣告をされたらそれを受け入れて一生懸命残りの時間を過ごすことが出来るだろうか、無様に狼狽えて周りに迷惑をかけるのではないか。順番から言えば当面一番身近な死は「母」か「犬」です。「母」がいなくなれば、兄はいますが別に家庭を持っていますから、一人になるという思いが強くなるでしょう。また「犬」が亡くなればこれまで恐らく誰より長い時間を二人っきりで過ごしてきたパートナーですから、その喪失感は相当なものだと思います。何れにしても、必ずやって来ることとして、今私はどう行動するのがいいのだろう、何か覚悟する方法があるのだろうか。今日のように時間が出来るとそんなことを考えます。

 

お盆という行事があるからかもしれませんが、夏というのは、私にとって逝った者を感じる季節です。

 

| ミホ | 13:29 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
フクシマ

今年は後援会の皆さん21名と一緒に福島に視察に行ってきました。

二年前、震災から三年経った福島に入り、双葉町で「町が死んでいる」のを目の当たりにした私は、これは絶対に見なければわからないという事を実感しました。この5年間毎年東北に入り、大きな被害があった宮城・岩手にも行きました。各地の復興を見てきた中で、三年経っても死んだまま放置された町を見た時、私は人間の欲望の骸を見たような思いにとらわれたものです。

そして昨年は会津若松でしたので、今年五年目の浜通りを再度見て回りました。

 

福島県の地域は大きく三つに分かれており、太平洋に面した地域を浜通り、県の真ん中の地域を中通り、そして北部を会津地域と呼んでいます。今回行った浜通りは、福島第一原発の爆発事故で一番被害を出したところです。

何人かの方々が放射能が怖いと仰っていたので、大したことはないことを証明するためにも簡易線量計を持って行きました。

まず福岡空港で測ると、約0.1μ㏜/hで、この値は、ほとんどの視察先で大差ありませんでした。

ただ、双葉町など避難区域では、3.0とか4.0という値が出ます。この地域、私の表現で行くと人間の欲望の骸を見た時、バスの中から悲鳴に近い声が上がっていました。恐らく私が最初に見た時と同じような衝撃を受けられたのだと思いますが、あれは見なければわかりません。真新しく今にも子どもが走って出てきそうな、絶対に若い世代の人たちが住んでいそうな住宅街にも、地震で倒壊したままの商店街にも、誰一人いないのです。5年経っても仮設住宅に住まざるを得ない人たちがそこにいるということです。

 

今政府は、人間が入ることが出来ない第一原発の中で使うロボットの実験を行っています。その試験場にも視察に行きましたが、廃炉にするためには、中にあるデブリというものを取り出して、別に管理しなければなりませんが、事故を起こした原発から取り出した例がないため、原発と同じものを作り、障害があることを想定してコンクリートや木片などをわざとおいてその中を走行させたり、原発の中でスキャンしてきた画像を元に、3D化して専用の眼鏡をかけて、実際に様々な活動ができるかどうかを試しています。最新の技術を使っているのでしょうが、どうしても傍から見ると子どもの遊びのようにしか見えません。しかし恐らく今考えられる方法としてはこれしかないのでしょう。これが成功するかどうかもまだわかりません。

そして、5年経った今でもまだ外で実験している段階で、実際に中に入って活動し、廃炉に持ち込んでいくためには、恐らく40年以上かかるのではないかという実感を得ました。その時には今の技術者たちの多くは既にいないでしょうから、新しい人たちに引き継いでいかなければなりません。恐らく自分の労働人生のすべてを廃炉にささげたという技術者も出てくるでしょう。

写真は浜風商店街という仮設の商店街です。ここでガイドをしてくださった方も当然被災者であり、説明をしながら何度も声を詰まらせておられました。ガイドさんですから、恐らくこれまで何百回と同じ話をされてきたと思いますが、それでも癒えない大きな痛みを未だに持っておられるということです。それはどんな災害地でも同じことかもしれませんが、フクシマは5年経っても仮設の商店しか出せない町なのだということが、心の復旧にも少なからず影を落としているということは間違いありません。しかし、今回この商店街をはじめ、農業者・漁業者と話を聞いてきましたが、皮肉にもこれがきっかけで地域や同業者がまとまったという事実もあるようです。

 

私たちの今の生活は、余分なものが沢山あって、それが無くなった時に必然性もあってご近所や同業者同士で助け合うとか、お互いに笑いあって辛さを越えていく努力をするとか、フクシマに見られるように、本当の人間らしい社会が形成されていくのかもしれません。

 

世界一貧乏な大統領であるムヒカさんがおっしゃっています。

「貧乏な人とは物を少ししか持っていない人ではなく、無限の欲がありいくらあっても満足しない人の事だ」

 


 

| ミホ | 14:55 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
低糖質ダイエット

 以前日本人がお米を食べなくなり、水田が減ってきていることをこのブログに書きました。事実私自身も体重が気になっているので糖質を制限する方法として白米の摂取量を減らすという方法をとっています。しかし、日本人が一日にあとご飯茶碗半分多くお米を食べるようになると、日本の水田が(確か)30万撚麌すると聞いたことがあります。お米にはアミノ酸が豊富に含まれ、栄養的にはほぼ完全食品という事だそうです。日本人はこのお米と大豆があれば、国土の条件から、豊富できれいな水と山菜、魚、時々肉で十分生活できるそうです。しかし、ご飯の食べすぎは太ると思っている人も多いと思います。

 

 先日鳩山邦夫さんが亡くなりました。直接的な死因について詳しくは分かりませんが、亡くなる直前の写真では以前と比べて大変痩せられていました。ご本人は糖質ダイエットをやって成功したと仰っていたそうです。確かに私の周りでも炭水化物を摂取しない糖質ダイエットをやっている人が沢山います。太りやすいアメリカの芸能人の糖質ダイエットをやって大層痩せた写真などが私たちの目に入ることも多く、体重を気にしている人たちにとって、大した努力をせずに取り組めるため広がっているそうです。しかし、そのダイエットも行きすぎると、結果として健康を害する場合があるようです。

左の写真は、朝のテレビ番組で放送していた物を撮ったものです。

これはある程度厳しい糖質ダイエットを5年以上続けた人と全く気にせずに過ごしてきた人の死亡率の違いを現した表です。この表ですと、糖質ダイエットを5年以上続けてきた人の死亡率はしていない人より30%も高くなっています。

 

女性の場合は、健康よりも見た目を気にして糖質ダイエットをやっている人も多いと思います。ところが実は厳しい糖質ダイエットを行うと、体は脳を働かせるためのエネルギーを筋肉からとるので、まず筋肉がやせ細っていって体重が減るのだそうです。筋肉は脂肪より重たいので、直ぐに目に見えて体重が減り、いかにも健康的に痩せたように思えるのですが、実は脂肪量は変わっていないので、健康的に痩せた状態ではないようです。今綺麗な痩せ方というのは、全体的に細いというより、引き締まった体、つまり筋肉がきちんとついている体に憧れている人が多いので、そういう意味では理想的な痩せ方ではないようです。また、糖分が不足すると、脳が上手く働かなくなって終日ぼーっとしていたり、肌荒れや脱毛なども起こるそうです。

では、あまり運動しない人が一日に必要な糖質を白米からとるとした場合、最低どれくらい食べればいいのかというと、300ℊだそうです。お茶碗半分が大体100ℊで、それを一度に食べても二回か三回に分けて食べてもいいそうです。その上で筋肉が付けば脂肪を燃焼しますから、今までエレベーターを使っていた所を階段にするとか、時間に余裕があるときは一つ手前の駅で降りて歩くなど、いつもよりちょっとだけ気を付けて体を動かすだけで、所謂内臓脂肪を減らしていけます。当初いきなり体重が減るということはありませんが、長い目で見るとその方が体への負担が少ないようです。
 

何にしても、極端な方法というのは体や心にとってあまり良いことではないことが多いようです。「健康のためなら死んでもいい」という気持ちに陥らないよう、お互い気を付けましょう。

 

 
 

 


 

| ミホ | 09:41 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
むかしむかし…

先日ラジオから「秘密の花園」という名前のスイーツのお店が開店するという話が流れてきました。

「秘密の花園」(?)バーネットの同じタイトルのお話を読んだ記憶がよみがえりました。今はそんな自然があるところは少なくなってしまったと思いますが、近所の野原の一角に道端に咲いている花を勝手に植え替えたり、雑草を勝手にむしったりして自分の「秘密の花園」を作ったことを思い出しました。そこにおやつを持って行って主人公の気分になって気ままな時間を過ごしていました。

 

多くの人に「記憶に残る本」があると思います。私は割と活字を見ることが好きなので、今回の「秘密の花園」のようにふとした時に過去読んだ本が思い出されます。

そんな私が人生で初めて泣いた本は「フランダースの犬」でした。その後テレビで見たアニメでは私が泣いた最後の場面は、やや幸せ感を演出していましたが、本の方は、子どもにはその理不尽さが許せない、信じられないという気持ちにならざるを得ず、涙がどんどん出てきたのを覚えています。

今考えるとこの主人公ネロという少年は、画家としての素晴らしい才能を持っていながら、貧しさが原因で恐らく衰弱死したという事だと思います。そう考えると、「マッチ売りの少女」も寒いクリスマスの夜、極寒の外で裸足のまま恐らく凍死したということですよね。ここまでの子どもの貧困がついこの間まで、今は先進国と言われる国々でも現実に起こっていたということを考えると、何という事だ、と思わざるを得ません。しかしよくよく考えると日本もほんの100年前くらいまでは、こういうことが各地で起こっていたのかもしれません。今のようにマスメディアが発達していなかった当時、それが多くの人の耳目に触れることは少なかったかもしれませんが、間違いなく現実に起こっていたのでしょう。

 

前回書きましたが、今各地で「子ども食堂」が開店していますが、この底辺には食べられない子どもがいるという事実です。

先日参議院の予定候補の方の高校教師時代だった時の話を伺いました。その内容はこうです。急に学校に来なくなった生徒の家庭に訪問すると、その生徒がぽつんと家にいたそうです。「どうしたのか」と聞くと母親が三日前に借金取りに追われて出て行ったきり帰ってこないという事でした。家を出る間際母親はその生徒に「友達からお金を借りて当面食べなさい。」と言ったそうですが、その生徒はそんなことも出来ず、三日間何も食べていなかったそうです。

 

ネロもマッチ売りの少女も、誰も彼らを助けるものがいなかったため、天に召されることになったのですが、その生徒とネロたちのおかれた環境はそんなに大きな差はないような気がします。

 

私が幼い頃は、この本の話しはむかしむかしの話しのように思っていましたが、今その内容はむかしむかしの物語ではなくなってきたように思います。このことに私たちは、どう向き合っていくべきか、子ども食堂は地域の力、私たち政治家はそういう環境を生み出さないための施策を作ることだと思いますが、親をどうするのか、子どもの今の貧困の手当てをどうするのか、本当に難しい問題です。「むかしむかし」の話をもう一度読みたくなりました。

| ミホ | 09:02 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
子どもの貧困と性教育
太宰府でも子ども食堂の開設に向けての動きが始まりました。その席でこれまで多くの子ども食堂の開設に関わってきた女性と知り合いました。今年福岡県はコンビニで賞味期限内ではあるけれども廃棄される予定のお弁当を、食事に欠けている子どもの家に宅配する活動を行っているNPOに対しての助成制度を開始しました。私は添加物や保存料の問題、また売れ残ったお弁当を食べる子どもの気持ちなどを考えると、積極的に賛成は出来ないという考え方を持っていましたが、その女性から一喝されました。「どんなものでも食べられない子どもにとっては必要なのだ」。食べられない子どもは、一日で給食だけがまともな食事である場合が多く、土・日や夏休みなどの長期休暇に入ると、スナック菓子だけとか、水だけ飲んで過ごす場合もあるという事でした。新聞などの文字面で読んだことはありましたが、実際に関わっている人の声というのは大変重みを持っていて、改めて厳しい家庭の食環境はそこまで来ているのかと、自分の考え方の甘さを反省しました。

学校の先生方と意見交換をする際、厳しい家庭の話を聞くと両親のどちらかが軽度の知的障害を持っている、という事があります。
収入や環境などでバースコントロールをする方は多いと思います。しかし、知的障がいはなくても子どもを産み、その子どもを育んでいくという事が自分の生活にどういう影響を与えるのかということを理解出来ないまま、又は全く想像しないまま子どもを産んでいる、或は産ませているという場合があるように思います。

皆さんのご家庭では子どもへの性教育を行っていますか?
昔のように、市民が性的知識を全く持たなかったため、子どもが沢山生まれたという時代ではなく、学校や家庭においても教えられていると思います。しかし、全く食事が出来ない子どもが実際にいるという事実は一体何を意味しているのでしょうか?

知的障がいのある子どもたちには、具体的に話をしてくれる誰かが必要です。その役割は親であり教師であるのかもしれません。
しかし想像力に欠けている子どもたちには、どうすればいいのでしょうか?
私は自分を幸せにするための想像力は、自己肯定力と強い関係があるように思います。周りから愛されているということを実感しながら成長した子どもは、自分を大切にするという事を自然に考えるように思います。そして「愛されている」と子どもが日々実感できるのはやはり食事ではないかと思います。

今後食事を貰えない、つまりその自己肯定感を持っていない子どもが増えていくと、将来子どもたちの環境はさらに悪化していることが懸念されるため、今危機感を持った大人が、せめて食事を通じて地域にとって貴方は大切だという思いを伝えたい、その思いが子ども食堂の開設に繋がっているのだと思います。

今出来ることの一つとして子どもに接する機会のある方々が、性教育を単に生物学的な説明で終わらせるのではなく、結果として子どもを産むという事がどういう事なのか、人としてそれをどう見つめるのか、そういう思いも込めてもっともっと大切な教えとして子どもに伝えてほしいと思います。
 
| ミホ | 10:04 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
差別と合理的配慮
障害者差別解消法が施行されました。
自分は障害者差別なんてしていない、と思われる方も実は多いのではないでしょうか?というより世の中の多くの人は普段そういうことを全く考えなくても生活できるので、たまに障がい者と思われる人にあっても、「障がい者だ」と思う程度で、差別するとかしないとかそういう所まで考えたことがあまりない、というのが実態のように思います。
身体障がい者の方は、見た目でわかる場合が多く、この人はこういう課題を持っているんだという事が類推できます。しかし、知的障がいや特に精神障がいの場合は見た目で分かりにくいため、周囲の人が当事者にとっては心無い言動をしている場合があります。
例えば電車で隣にいる見知らぬ人がずーーーっとブツブツ独り言を言っていたら、電車が動いているにもかかわらず、その人の傍から離れてしまうかもしれません。でもその人が近所の人でその人の障がいの状況をよく知っている場合はどうでしょう?

以前スウェーデンに行った時のことをこのブログで書いたことがありますが、到着した夜、既に10時過ぎていたと思いますが、夕食を食べていなかった私たちは取りあえず近くのファーストフードの店に入ってびっくりしました。店の半分近くを車いすと精神障がいと思われる人々が占めており、楽しそうに食事をされていました。少なくとも私は日本でこんな光景を見たことはありません。

大牟田でも認知症の高齢者を地域で見守る仕組み作りのため、小学生が認知症の高齢者一人ひとりを知ることから始めました。

何が言いたいかというと、色んな障がい者を持つ人がそばにいるという事が、障がい者差別解消の第一歩だということです。
そして私たちが言う障がいが、実はその人の個性であるということに気付いてから、今の社会の中でその人たちが抱える課題が何なのかを理解することの出発点に到着できるのだと思います。

昨日太宰府市内にある特別支援学校に行きました。ここは当初250名規模を想定して開校しましたが、5年経った今540名を超す児童生徒が在籍しています。子どもたちの数がこれだけ増えると、当然ながら教職員の数も相当増やさなければなりません。大体3名から6名くらいに1人の教師が必要ですから。すると、教室や駐車場が足りなくなることは勿論ですが、教師も机に長机を使い、1人50僂靴使えないという状況で、仕事をされておられました。なぜここまで想定外の児童生徒がこの学校に来るようになったのか。元々の想定が甘かったという指摘、障がい児の割合そのものの増加などがありますが、一方で親の子どもが障がいを持っているということについての理解が進んできたということも言われています。以前は子どもに障がい者手帳を持たせることについて大変な抵抗を感じていた人たちが多く、家の中に囲ってしまう場合もあったようです。しかし、今は子どもの障がいに応じて出来ることを探して訓練などを行い、出来るだけ社会と関わって生きていってもらいたいと願う保護者が増えたということかもしれません。

しかし、太宰府特別支援学校のキャパは既に限界に来ています。
普段視察では行政や教育委員会の施策についてともすれば批判に繋がるような事は説明内容に入れないというのが慣例です。従って事前に課題について独自で調査しておき、公的な説明が終わった後、個人的にお話を聞くという事がよくありますが、昨日の校長先生のお話は、本当に心の叫びのようでした。
今新校舎が建設中ですが、完成しても30近い教室の不足が予想されています。また、この学校は丘の上にあり、平地の校門から校舎まで相当長い坂道を登っていかなければなりませんが、その道の片側車線のほとんどを教職員の車で閉めており、子どもたちの送迎バスが往来する時間帯の道路は混乱を極めています。

これは障がい者差別解消法の合理的配慮に欠けている、と指摘されても仕方がない状況かもしれません。しかし大規模なハードの改善は、簡単にはできません。私自身もジレンマを感じながら、まずは出来ることを具体的に提案していくしかない、と思っています。


 
| ミホ | 10:29 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
おひとりさま
ここのところ急に暑い日が続いています。
「目に青葉、山ホトトギス、初鰹」という言葉にあるように、山を見ると新緑とそうでない葉っぱの色の違いがくっきりしていますね。やはり若葉の色は淡くても勢いがあります。私はもともと無精で不器用な質ですが、それでもこの季節になるとベランダの日日草が花をつけてくれました。私はこの花が大好きです。花言葉は「友情」「楽しい思いで」。花一つ一つは小さいのですが、暑さに強く一つの株で長い期間花を楽しませてくれます。これから秋にかけて色気のない私のベランダに明るさをもたらせてくれると思います。この花のように、小さくてもいきいきと、凛とした強さというものに私は憧れています。

 先日、東京で開催された介護・福祉問題のセミナーに参加しました。ここでは、介護保険法の改正で、現在自治体が取り組んでいる地域包括ケアシステムの課題や、解決方法の提示など、多くの数字を出しながら課題解決のために皆が熱心に聞き入っていました。
 その中に、上野千鶴子さんの「おひとりさまの最後」という本の内容について、ご本人の講演もありました。事前にその本を購入し読了後講演を聞きましたが、考えさせられることが多くありました。この本は「おひとりさまの老後」「男おひとりさま道」に続いて出された「おひとりさま」シリーズ三番目の本です。最初「おひとりさまの老後」が出された時、この「おひとりさま」というタイトルが「負け犬の遠吠え」の「負け犬」に似たイメージを抱いてしまい、あまり見たくないというか触れたくない、という印象を持っていました。しかし、今回実際に読んであまりにも頷くことが多く、今後の自分の生き方を考えるうえで多くの示唆を頂きました。上野さんは研究者ですが、あくまでも自分の足で現場を訪れ、自分の目で見て自分の耳で確認したことに基づいて考えをまとめておられるので、説得力があります。以前藻谷浩介さんの講演会を聞きに行った時も、藻谷さんの徹底した現場主義からくる考え方に圧倒されたものでしたが、上野さんも同じタイプの研究者だと思います。これから読もうと思っておられる方には申し訳ありませんが、その内容にも若干触れたいと思います。

 人生で唯一決まっていることは死ぬことです。年老いて死ぬとき、どういう死に方をするのか、自分で最後の過ごし方を選ぶことが出来ているのか、彼女が本の中で再度検証しています。
夫婦であっても必ずどちらかが先に死にますから、誰しも一人で死ぬことを考えておかなければなりません。そして高齢者施設に入ることを本当に希望している人は少ない、というのが上野さんのお考えです。つまり、老後一人で過ごすようになると、家族が「一人にしておけない」とか、本人も「家族に迷惑をかけられない」という理由で施設に入る場合が多いということです。特に家族の意向が働く場合が圧倒的に多いというのが現実だそうです。半面多くの高齢者は実は長年住み慣れた家で最後まで暮らしたい、というのが本音です。

 では、本当に「一人で暮らしていけないのか」ということについて、彼女は地域の中でまず介護、そして時々看護、最後にちょこっと医療が揃っていれば、認知症であっても最後まで住み慣れた家で生活できる、ということを実例をもとに説明しています。
つまり、今後予想される特別養護老人ホームを始めとする高齢者施設不足などは地域介護と医療を充実させることで解消できると言っているのです。高齢者施設も人口が減少し始めれば、必要なくなりますから、過多に作ることはできません。しかし、一つ大切なことは、その本人が最終期を迎える前にどれくらい自分の住んでいる地域と交流しているか、ということです。一番不安なのは認知症にかかった場合ですが、認知症は「記憶障がい」と「精神障がい」なので、その障がいをおう前の自分を知っておいてもらうことが認知症にかかった後の地域の方々の理解に繋がるということです。

 私が今のマンションで最後を迎えたいのかどうか、今はまだ判断できていませんが、人生80年として後10年後には自分の最後について具体的に考え決定し準備に入るべきなのかと今考えています。老後の準備とは最後の準備ということですが、その準備に本人の生き方が表れるのかもしれません。


 
| ミホ | 14:00 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
フードロス
先日、女性団体の総会後の懇親会に呼んでいただきました。その時だされたのが写真のお弁当です。お寿司屋さんに注文されたお弁当です。色々な種類の巻き寿司と共に魚中心のおかずが彩りよく入っていました。

女性部だからだと思いますが、お酒を飲む方もそんなにおられず、飲んでもほどほどの量を頂く方が多いので、アルコールも必要な分を準備されているように思いました。アルコールが飲み放題だと、例えばビールを相手に注ぐ場合、残りがあと3冂度しかない時など、新しい瓶の栓を抜いてしまいませんか?私は足りない場合を考えてつい抜いてしまいます。何となくコップの途中で無くなってしまう事が相手にとって失礼な気がするんです。日本酒の場合は、少なくなったお銚子から移して一つにまとめるという光景は良く見ますね。でもビールではそれができません。しかし、今回は会場の関係もあって、ビールの本数に限りがあることが分かっていましたから、皆さんまず少しでも残っている物から空けていかれるんです。

お弁当も最初は宴会ではあまり見なれていないため、テーブルの上が少し寂しいような気がしましたが、おかずが十分にあって、お酒の肴としては十分でした。また、余ったものは持って帰ることが出来ますと最初に言ってくださったので、明日の食事の配分などを自分で考えて食べることが出来ました。お蔭で次の日のお弁当はいつもより豪華なものとなりました。

お酒も宴会が終わるころには持ち帰りが出来る焼酎の瓶に少し残ってはいるものの、よく宴会終了後に見かける、バケツをもって余ったビールや日本酒を捨てて回るような事は必要ない程度しか残っていませんでした。そして、多くのお客さんが、お弁当を持ち帰っていたので、テーブルの上はあっという間に片付いて、お弁当の横に添えられていたデコポンもお土産となり、翌日以降の私の食卓に上っています。

一方先の3月議会で、知事が県庁では今年度から「30・10運動」を展開すると仰っいました。何のことかわかりますか?これは、宴会の最初30分と最後10分は自席で出された食事を頂いて、フードロスを減らそうという内容です。

日本人が飲んでコミュニケーションをとることが好きだという事は分かります。でもお酒を注いでまわるために自分に出された食物を頂く時間が取れないというのは、どうでしょうか。私の祖母が農家だったので、とりわけ食べ物を残すことについては厳しく言われて育てられたと思います。今でもお茶碗に米粒を残したまま食事を終えようとする人を見ると、本当はイラッとしています。女性は、普段食事の支度をしている人が多いので、作る側の立場に立ちやすいのでしょうが、フードロスという視点から見た時、宴会の在り方は女性の方が進んでいるのかもしれません。
 
| ミホ | 14:56 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
地球の時間
先日知り合いと馬鹿な計算をしてみました。地球が誕生してからの時間を46億年として、それを基にした様々な時間を人間の寿命と比較してみた場合、どれくらいになるのか、というものです。

今回の地震で私が驚いたことの一つが土砂崩れでした。特にあの立派な阿蘇大橋を崩落させた土砂崩れの規模には、多くの方々が驚愕されたのではないでしょうか。大雨での土砂崩れではなく、地震であそこまで大規模な地崩れが起こるという事は想像したことがありませんでした。しかし九州は、9万年前におきた阿蘇山の大爆発で降り注いだ火山灰で覆われた土地だということです。
つまり、そんな脆い土壌の上に私たちは建物を建て、車を走らせているということです。普段私たちは九州中を火山灰が覆ったといわれる大規模な爆発のことなど考えて生活していません。何しろ9万年前というと、まだマンモスの後の時代で、人は狩猟生活を行っていた頃ではないでしょうか?まあ、いずれにしても、昔々の事だということです。そこで上述した計算を行ってみて、私たちの寿命が80年として計算すれば、地球にとってそれがどれくらいの間隔なのか実感してみよう、と思い立ったわけです。9万年だと計算しづらいので10万年として計算すると、(私の計算は甚だ信頼性が薄いものですが)約15時間という結果が出ました。半日程度ということです。

また、テレビである地質学者が、400年前の古文書に、三陸沖地震が起きた数年後に熊本で大地震が起き、その同じ日に大分のお城が崩壊したという記述があることから、東北の5年後におきた今回の熊本の地震は、それと同じパターンで活断層が動いたのではないかということを推測されていました。この推論が恐ろしい所は、その後数年間の間に愛媛や長野で大地震が起きていることが記述されているということです。400年前というと戦国時代の頃で、やはり遠い昔という感覚はぬぐえません。
しかし、この400年という時間は地球にとって、わずか3.6分という計算結果が出ました。

これらのことから、9万年でも400年でも、この程度の間隔は、地球にとって継続して動いているといっても過言ではないということです。私たちの生活はこのような大変あやふやな自然の狭間に成り立っているといえます。
日本の地面は地球の地殻から浮いた存在であるなら、その浮いた地面の上に降り注いだ火山灰という更に浮いた土壌の上に生活をしている私たちは、何と危うい存在なのか、そう思わざるを得ません。

もう一度、本当の意味で足元を見つめなおし、地球というたとえようもないほど大きな自然の中で、自分という存在がどうあるべきなのか、改めて感じる時間を持とうと思っています。
| ミホ | 13:49 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

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