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環境

西日本で発生した豪雨災害に遭われた皆様に心からお見舞い申し上げます。

 

昨年は朝倉で線状降雨帯という言葉を初めて聞き、今年はそれが各地で発生して大規模な被害をもたらしたという事です。

そして朝倉での被害を拡大させ、今後の教訓とすべきだと言われた「自分の所は大丈夫」という気持ちやため池の決壊防止策の必要性などが今年はあまり生かされていたなかったように思います。

 

近年地球環境は実は我々が思っているよりもはるかに速いスピードで変わっていっているのではないでしょうか。

もう「五十年に一度」や「百年に一度」という言葉が使われすぎて、本当に百年に一度なのか信じられない人が多いと思います。

その環境の変化に気付いた人から何かを始めなければなりません。しかしもう個人で対応するという段階ではなく、実は国レベルでの喫緊の対応が必要なのではないかと思います。私たちは空調などで日々快適に過ごしているため、自分の環境がおかしいという事に非常に鈍感になっているような気がします。

 

人間は自分が生活している環境が快適であればあるほど、その環境が異常であることに気付かなくなるのかもしれません。それは単に自然だけの問題ではなく、社会環境においても言えると思います。

先日文科省のエリートが立場を利用して大学への便宜を図り、その見返りに自分の子どもの入試得点を水増しさせて入学させたという事件が起こりました。これもまさしく自分が置かれている環境に馴らされ、自分の言動の正常性を見失ってしまった例だと思います。

 

いわゆる社会的地位が高い人々に多くの人は敬意を払った言動をします。そこでおこりがちなのが、敬意を払ってもらったほうが、自分がエライと勘違いすることです。勿論その地位に行きつくまで本人の努力もあると思いますが、その地位というのは先人が努力して人々に尊敬されるよう築き上げてきたものだからこそ尊いのだということを忘れてしまう事が勘違いの元のように思います。

 

例えば頑張って一流といわれる企業に就職した人間が、周りが凄いねという言葉を自分が凄いねと言われていると勘違いするのと似ています。その凄いねはその会社が凄いのであって本人が凄いかどうかはこれからの問題です。件の文科省のエリートもその地位が凄いのであって、本人がすごい人材であるという事とは別です。

 

私たちは自分が置かれている環境が自然環境も含め本来の在り方なのかどうか、常に客観的視点を持つことが必要なのだと思います。それは偉いと言われる人々だけではなく、すべての人が自分の在りようを別の視点から見ることを訓練するだけで、この世の中は随分と暮らしやすくなるような気がします。

| ミホ | 11:47 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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