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定義

私は昔から算数・数学が苦手で、高校時代は、定期考査で数学の赤点をとって朝の強制補修受講者の常連でした。

その数学には「定義」という言葉がよく出てきます。数学が苦手な私ですからこういう言葉には特に敏感に反応したのかもしれませんが、ある新聞で「文科省がいじめを定義」というようなタイトルが目を引きました。

 

それによると例えば「勉強が分からなくて考えている子どもに理解できている子どもがその回答を教えた場合、もし考えている子どもが自分で解きたいと願っていた場合、教えるという行為がいじめに該当する場合もある」というようなことです。

 

「寝言は寝て言え」と言ったのは誰だったか。

ざっくり言うと私の最初の感想です。

そもそも「定義」とは何かと調べてみると、数学でよく使われてはいるものの、哲学の世界ではソクラテスの時代から2000年以上も議論しているのに未だにそれが何か結論が出ていない、とWikipediaに出ていました。結局何なのか分からないままではありますが、取り上げず、他と区別するためにA=○○である、と決定することだとすると、前述した子どもの行為=いじめだということです。

 

いじめも各ハラスメントも私は当事者間の人間関係によるものであると思っているので、第三者がそれを定義付けするという事自体にほとんど意味がない、と思います。

例えば男性が女性に「綺麗だね」と発した言葉をどう感じるかは、その男性と女性の関係性によるもので、男性側に自分と女性との関係性を客観的に見る能力があるのかどうか、ということが一番問題なのです。それは女性から男性へも当然同じことで、いきなり大人になってその能力が養われるわけもなく、子どもの時から「相手をきちんと見る、相手の気持ちを想像する」訓練が出来ていなければハラスメントは無くなりません。

 

文科省がこのような事例を挙げてしまうと、教師はその事象のみを追いかけてしまう可能性があります。それは木を見て森を見ずを助長してしまうだけで、本来子どもに必要な一人ひとり違わなければならない人との関わり方を学ぶ機会を奪う可能性があります。教師に求められるのは、子ども一人ひとりの他との関わり方を客観的に知っておくことだと思います。

そして、上述したような例の場合など特に、子ども同士で解決する力をつけさせることの方に力を注入すべきです。

 

文科省もいじめについて何とか減らしていきたいという思いからなのかもしれませんが、こんなこと真剣に考える時間があったら、ソーシャルワーカーなどの予算獲得に奔走してもらったほうがよほど現実的な減少につながると思うのですが。

 

文科省だけではなく、各省庁の政策を見ていると国の人たちは何でも定義付けするのが好きだなあと思います。

数学好きの方々は、数学ほどすがすがしく安らげる教科はないと言います。しかし哲学の世界で定義とは何かという結論が出ていないように、人が生きていくという事は雑駁で曖昧で数学とは対極にあるのかもしれません。そこに清々しさを持ってこようとしても

机上の空論、ということになるのでしょう。

| ミホ | 17:41 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
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Comment
イジメに関しては、見て見ぬふりをしていた時もあり、胸が痛みます。文部省・教育委員会には、多種多様なタイプが必要だと思うのですが、成績の良かった偏差値名人しか居ないのですから、解決できる問題は少ないと思いますよ。 ある国立大学出身者だけの会社はすぐ潰れると言いますからね。 イジメを受ける人は、両親に酷い言葉を浴びせたり、暴れる人が多いみたいですから、家の中での態度は改めましょう。(当てにならない占いです)


Posted by: スマートレイ |at: 2016/11/22 12:06 AM
コメントありがとうございます。
仰るように、国にこそ多種多様な人材が欲しいと私も思います。
Posted by: わたなべ美穂 |at: 2016/12/03 8:42 PM








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