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夏の思いで

気が付いたら8月が終わっていました。今日は本当に久しぶりの休みです。

昨年の選挙直後から臨時議会・各種集まり・6月議会・海外視察と続き、その直後骨折して市議会時代の様々な資料を整理できておらず、今日恐る恐る手を付けると、何とか形が付くまで4時間以上かかりました。今一息ついてこの二回の夏を振り返って、なんて慌ただしい日々だったかと感じています。昨年の夏は入院を一週間で切り上げ、無我夢中で松葉杖をつきながら各所を回らせていただき、今年の夏は昨年回れなかった夏祭り巡りや初盆参り、母の家の引っ越しがあって、やはりバタバタした夏でした。

 

最近は見なくなりましたが、昔は3時ごろになると青空にモクモクと大きな入道雲が表れ、あっという間に雨が降り出し、三十分程度であがって再び青空が広がるという光景を毎日のように見ていたように思います。父や母がよく「庭に水まきをしなくてすんで助かった」と言っていたのを思い出します。それは人間にとってだけではなく植物にとっても恵みの雨であったと思います。夏は野菜が美味しい季節で、体を冷やす効果のあるキュウリや日焼けを軽減するリコピンの入ったトマトなど、夏の体によい野菜があちこちの畑に生っていました。このところそういう自然と人間の優しい付き合い方が減ってきているのではないでしょうか。

 

その自然の中では「生老病死」は避けることが出来ないものです。

昨年は身体的に無理でしたが、市議会時代も含めて、私はあまり初盆参りをしたことがありません。

私の父の初盆の時、家族のほとんど面識がない偉い方がお見えになっても、相手も急いでおられるしこっちも話題が続かずきぶっせいな思いをしたということもありますが、議員は初盆に香典を持って行くことを法律で禁じられているため、何となく引け目を感じるということもあります。しかし、今年は親しい方の近親者の方の初盆が多く、各ご家庭にお参りに伺いました。

相手の死を少しずつ受け入れて立ち直ろうとしている方、未だに受け入れられず呆然としている方など亡くなった方の年齢もありますが、遺族の方々のありようも様々でした。

 

このブログにも何度か書きましたが、私も50を過ぎたころから「死」について考える事が増えてきました。

もし私が今余命宣告をされたらそれを受け入れて一生懸命残りの時間を過ごすことが出来るだろうか、無様に狼狽えて周りに迷惑をかけるのではないか。順番から言えば当面一番身近な死は「母」か「犬」です。「母」がいなくなれば、兄はいますが別に家庭を持っていますから、一人になるという思いが強くなるでしょう。また「犬」が亡くなればこれまで恐らく誰より長い時間を二人っきりで過ごしてきたパートナーですから、その喪失感は相当なものだと思います。何れにしても、必ずやって来ることとして、今私はどう行動するのがいいのだろう、何か覚悟する方法があるのだろうか。今日のように時間が出来るとそんなことを考えます。

 

お盆という行事があるからかもしれませんが、夏というのは、私にとって逝った者を感じる季節です。

 

| ミホ | 13:29 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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