Page: 1/28   >>
眠る事

先日家の近所の焼き鳥屋さんに行きました。仕事が遅くなって店に入ったのは10時近くなっていたと思います。

そこには二組の家族がいて、就学前か低学年の子どもが一人、幼児が二人の合計三人の子どもがいました。

どれくらいそこにいたのかは知りませんが、子どもたちはすでに食べ終わっていて大きな声を出しながらお座敷の中を飛んだり跳ねたりしていました。その子どもたちの態度を父親・母親が叱っていましたが、使っている言葉があまりに汚いので、むしろ周りの顰蹙を買っていたのは両親の方だったと思います。

こういう時、おばさんである私は一体どういった態度を見せればいいのか、悩んでしまいます。そもそもこんな時間に低年齢の子どもが居酒屋さんにいる事自体に、おせっかいなおばさんは怒らなければなりませんが、なかなか難しい問題です。

 

しかし、今回問題にしたいのは睡眠についてです。12月議会で睡眠負債について取り上げましたが、この言葉は昨年の流行語ベスト10に入っていましたし、ノーベル生理学医学賞の受賞理由は、体内時計のメカニズムの解明でした。今、眠るという事がいろんな方面から注目されています。睡眠を司るこの体内時計はほぼ就学前に出来上がるという事でした。つまり就学前にきちんとした睡眠習慣を持っていないと正しい体内時計が作られないという事です。そして福岡県では夜10時過ぎに就寝する子どもの割合が6割を超しているというデータがあります。

 

睡眠負債を抱えている人が、がんや高血圧・糖尿病を発症する率が平均より高くなっており、何より睡眠障害を発症する人も増えているという事です。睡眠障害というと不眠症を連想する人が多いと思いますが、より深刻なのは過眠症です。この過眠症にもいろいろなタイプがあるようですが、兎に角眠ることを自分でコントロール出来ないため、社会生活を営む事が困難になります。

こういう睡眠による社会損出は2016年度16兆円にも上ると言われ、まだ表面には出ていませんが、今後社会問題になることが考えられます。

 

睡眠というのは我々が考えている以上に、私たちの体や心に与える影響は大きく、その基礎となる体内時計をきちんと作るために、まずは子どもたちにしっかり眠る習慣を身につけさせる必要があります。

 

世の中の保護者の皆さん、大人の生活に子どもを合わせるのではなく、子どもとの時間が終わった後で大人の時間を持つようにして、子どもには安らかな眠りをあげてください。

| ミホ | 16:13 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
改ざん

昨年から太宰府市内にある44の自治会で議会報告を行っています。先日その報告会で、ホームページの更新を怠っているという指摘をいただき、まったくもってその通りで、忙しさを理由にかまけていた自分を反省中です。

 

この間、我が国の公務員たちの倫理観を問われる事案が発生しています。

8億円国民に損失を与えても平気であったり、法律を定めるための議論の材料となる正確性が求められる数字のデータがでたらめだったり、自衛隊が派遣された場所が、戦闘地域である可能性が高いことを示す報告書を紛失したと言っていたり、後から後から出てきます。

我々議員は、執行部と議論する場合、自分の手元に様々なデータが必要です。そしてそのデータは自分で収集することは大変困難で、時間と経費がかかるため、執行部に提出してもらわなければ、議論の展開が難しくなります。その資料がでたらめであったり、秘匿されているかもしれないという疑いがあると、私たちの議論はまるで意味を持たないものになります。つまり、国民同様議員と公務員の間にも信頼関係がなければ、議会制民主主義はうまく機能しないという事です。

公務員は憲法を順守し、全国民の奉仕者として働くことが憲法で定められていますが、一般企業同様、自分の上司や自分がいる組織の方だけを向いて仕事をしている人が増えているという事なのでしょうか。

 

話は全然変わるようですが、最近私も含め文章を書くとき手書きの頻度が極端に減っています。パソコンで報告書やこのブログを書くのは本当に便利です。何度も何度も推敲し書き直したものを、書き直した後を残すことなく作成できるからです。

昔、手紙を書くという作業、特に目上の方に対して手紙を書くという作業は、ほぼ半日を費やさなければなりませんでした。

仕事上でも、私が就職したころは既にワープロがありましたが、それ以前、文書を作るには膨大な時間が必要だったと思います。私は、今回の文書の改ざんや秘匿には、文字を書くという作業が手軽になったという事が悪い意味で作用したように思います。

何度も何度も間違えたり悩んだりした文字を一生懸命手書きした文書というのは、書いた人も読んでいる人にもその熱さのようなものが伝わっていたのではないかと思います。つまり、単なる報告書ではなく報告者の本当の想いや思想まで読み手に伝わるような文書を簡単に改ざんなどできないのではないかと思います。

 

私たちの生活は便利になりました。携帯電話があるおかげで見知らぬ土地で待ち合わせをしても行き違いになるというようなことは殆どなくなりましたし、思いついたらすぐにメールしておけば大切なことを伝え忘れたという事も少なくなりました。

一方で自分がどこにいても仕事から離れることが出来なくなり、本当に本当に大切な思いを言葉で伝えるという難しさを知らない人たちが出てきているように思います。

 

私たちの生き方は改ざんできるはずもないのに、このままいくと、ちょっとまずいと感じたとき、自分の過去が実際とはまるで違ったものであったような言動をする人が増えてくるのではと感じます。

| ミホ | 10:32 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
太宰府市の混乱について

前回のブログで、議会を解散させず市長自身が辞職して直接市民に信を問うてほしいと書きましたが、市長は議会解散の道を選びました。

これから市議会議員選挙になるのですが、何を争点とした選挙なのか、恐らく当事者である議員もわからないと思います。議長は悪口の言い合いではなく、建設的な選挙をしたいという内容でマスコミに回答していましたが、候補者が通常選挙と同様の訴えしかしないのであれば、この解散は何のためなのか益々意味のないものになります。議員の質を問うものであれば、通常通り4年に一度の選挙で行うべきです。このような解散を強行した市長のやり方に私は納得できません。

 

一昨日、市長の言い分を書いたチラシが私のマンションのポストに入っていました。

 

あまりにも一方的な書き方だったので、私なりの考えを述べたいと思います。

  <副市長解職は市長の専決事項であって、議会の同意はいりません。改革を前に進めるために解職しました。>

  <議会と問題意識を共有し共に進めていきたいと願っています。>

チラシの原文のままですが、この二つが矛盾していることに市長は気付かないのです。

 

議会と共有すべき問題の中には、副市長の資質というのは無いと市長は言っていることになります。副市長の存在がそんなに軽いものであるのなら敢えて解職する必要はないし、副市長の資質で改革が遅滞するほど重い存在であるのなら、それは議会と共有すべき重要な問題です。確かに解職は議決する必要はありませんが、副市長人事は議決事項であり、もし議会が間違った議決をしたと市長が判断したのであれば、その理由を丁寧に議会に説明すべきです。仮に解職するとしても民間企業においても、最低でも一か月は猶予がありますが、8月のお盆過ぎに副市長に直接辞職を勧告し、わずか半月で解職した今回のやり方はブラック企業並みの人事であり、働く人間の権利を無視したこの一事とっても不信任に値するものだと私は思います。

 

  <不適切文書の問題と第三者委員会設置問題の責任をとって自らの処分案を議会に提案しました。−中略− 議会では否決され、理解されなかったことは非常に残念です。>

 

この問題が発覚したのは5月です。もし責任を感じているのであれば、今回のような自身の減給という処分案を6月議会に提案すべきだと思います。そしてそれは市行政全体の問題であることから、自身だけではなく三役及び全部長に対して2割から3割、最低でも三カ月程度は行うべきで、今回のように4ヶ月も経過した後に、自分の報酬1割を一か月減らす、という内容に議会は意味を感じなかったから否決したものだと思います。

 

このチラシには書かれていませんが、市長は教育長に対しても副市長同様8月半ばに直接本人に辞職を勧告し、8月末で解職しようとしていました。しかし教育長は教育委員会の同意がなければ解職できません。あまりにも突然の勧告に対し当然教育委員会が同意するわけはなく、この市長自身の言動で教育委員会との関係も壊しています。辞職させ方も知らないで勧告した今回の言動は、熟慮した末の物とはとても言えないと私は思います。

 

今、駅頭に立つと多くの方から太宰府を何とかしてください、という声をかけられます。現在の混乱は、市長に多くの責任があると私は思いますが、議会ももっと積極的に自ら出て行って説明を行うべきです。議会もチラシを作ったという事ですが、未だに私を初め多くの市民の元に届いていません。こういう姿勢が市民に問われているのだと思います。問題の解決はできるだけ速やかに単純な方法で行う事が必要です。一日も早い解決のために何ができるか、私も皆さんと一緒に考えていきます。

| ミホ | 12:55 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |
不信任決議への市長の対応

太宰府市議会は今日市長への不信任決議を全会一致で通しました。

不信任が決議された以上市長の対応は以下の4つです。

 

 ー任する

◆ゝ腸颪魏鮖兇気擦

 議会を解散させ自分も辞任する

ぁ)…蟯限を過ぎても辞職せず、自動的に失職する

 

それぞれの対応の理由として私が考えるのは

 ,笋覽いなくなった、もしくは再度市長に立候補して直接市民に判断をゆだねる

◆ゝ聴選挙を通して議会を再編させ、自分を応援する議員数を増やす

 △陵由に加えて市長選挙を通じて、同時に市民の信を問う

ぁ,笋覽いなくなった

 

↓のように議会を解散させる目的は、自分を応援する議員の数を増やすためです。しかし今の太宰府市議会において、仮に選挙を行って多少議員の構成が変わったとしても、不信任を撤回できるほど市長を応援する議員の人数を確保することはまず不可能です。新しい議会において必ず不信任が再提出され可決されますから、市長はその時点で今度は自動的に失職します。従って市議会議員選挙を行っても行わなくても市長選挙が行われることは確実です。つまり今回の不信任に関して市議会を解散する事は無意味だという事です。突然の解職によって副市長は不在で教育長は辞任届を提出している今、無意味な選挙に3000万円もの税金が使われ、国政選挙、最高裁審判、市議会選挙、市長選挙による市民や職員の負担、市政の中心を担う3役の内2役、そして議員全員がいなくなるという異常事態の発生、これらが及ぼす市民生活への影響を考えると、早期に単純に事態を収拾することが市長に課せられた役割だと思います。

 

今回議会を解散し選挙を行うと、12月議会での不信任の再提出になります。そうすると市長には期末手当(ボーナス)が支給されます。意味なく混乱を長引かせた上、貰うものは貰うという姿勢はいかがなものかと思います。そんな思いではないことを証明するためにもこの10日以内に辞職し、直接市民に自身の想いを訴えつつ審判を仰ぐ、その方法を選んでほしいと私は思います。

| ミホ | 23:07 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
補償

九州北部の豪雨災害に対し、被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。

 

一番最初にそれを感じたのは阪神淡路大震災の時でした。地震の後の大火災の様子を、ヘリコプターから映し出す映像を家のリビングという安全な場所で見た時に何とも言えない感覚に陥りました。その後9.11や東北の大災害の時も、被災されている方は、炎や津波などの中で逃げ回っていらっしゃるのに、それを同じ時間に全く別の安全な場所で見ていることが不思議で、自分の感覚が変わってくるような恐ろしい気持ちになりました。東北の時は、後ろから津波が迫っているのをテレビを見ている我々は知っているのに、現場にいる市民の方には知らされていない、或は映像で津波が見えるのに、その手前にいる車や人々はビルなどに妨げられて気付いていない、などの映像を見た時、これは映画でもないし録画でもなく、今この時被災されているのを目の当たりにするという事が、とてつもなく恐ろしいものに思えました。情報を知ることは大切なことですが、今それを知ったところで何も手の打ちようがない場合、ひたすら虚しさだけが残ります。

 

今回朝倉では一日に1000ミリというこれまでには考えられないほどの雨量が計測されました。今回のようなケースでは、事前に避難する以外、被害を回避する方法はないと思います。そのためには、気象条件などの情報をいち早く入手した自治体が英断する以外市民の安全を守ることができないのではないでしょうか。また、今回は流出した木材がその被害を拡大しています。それは林業の後継者不足によって山の保全が出来ていない事が挙げられていますが、私は国の施策変換後、何も手当がされていないことも理由にあるように思います。つまり日本の山は本来広葉樹の森です。それを木材を国の産業にするために伐採を繰り返し、お金になる針葉樹、つまり杉を植え続け、その杉がお金にならなくなったら、生活ができなくなった林業者が廃業し山が荒れてしまった、という事だと思います。

今ようやく日本本来の里山の姿に戻すべきだという運動が出てきていますが、国はもっと補償をすすめて根の浅い針葉樹ではなく、きちんと根を張る広葉樹を戻すことによって災害に強く、またドングリなどの広葉樹はイノシシやシカの餌が豊富なので、動物が街なかへ出てくる必要もなくなるよう施策を進めてほしいものだと思います。

 

これから市町村・県・国が総力を挙げて復旧・復興を支援していかなければなりません。被災地への激甚指定、交付税の前倒し支給などの要望は国が認定し実施されますが、細かな補償がこれから発生してきます。私も現地からの情報を速やかに入手し、何をどのようにすればいいのか組み立てて考え微力ながら尽力していきます。

 

このような補償が行われるのは当たり前ですが、時々え?と思うような事案があります。例えば驚いたのは、ファーストフードのお店でコーヒーで火傷したということでお店が訴えられ、確か10億円以上の支払いが行われたことがありました。沸騰していたのかもしれませんが、自分で注意することは不可能だったのでしょうか。最近こういう事例が増えており、企業も自治体も委縮せざるを得ないような環境が出てきているような気がします。

 

補償が必要なのかと疑問を持つことを主張される方の意見を聞くことがありますが、私は、私たちは一人ひとりが本当に補償が必要な人たちに思いを馳せ、まずは自分で自分の行動を考えながら生活すれば、おのずとそういう意見は言えなくなるように思います。

| ミホ | 12:06 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |
教育勅語

だいぶ下火になりましたが、森友学園の問題は色々なことを考えさせられました。

「忖度する」という言葉など、私のこれまでの人生の中で恐らく一度も使ったことは有りませんでしたが、このところ知り合いの間でよく使われています。

この森友問題で大きく取り扱われたことの一つが、教育勅語です。

これまで教育勅語に対する私のイメージは、戦前の教育に使われた天皇制を礼賛する教材、くらいのものでした。

 

しかし、園児が暗唱している姿や、ネット上で若い芸能人が「良い事言ってるじゃない」という発言をしているのを見聞きしているうち、はっと気付いたことがありました。そう、私は教育勅語を読んだことがない、という事です。

賛成するにしても反対するにしても、現物を読んだことがないのでは話になりません。そこで、まず原文を読んでみました。

 

「チンブンカンブン」というのが最初の感想です。

カタカナと漢字で書かれ、句読点がない文章がこんなに読みづらいものだとは思いませんでした。どこで区切って文章を読んだらいいのかわからないという事が、読み解くという作業をこんなに難しくすると初めて分かりました。

そこでまずは句読点が付いた「訳文」を読んでみました。だいぶわかりやすくなったものの、漢字そのものの意味が分からない言葉が結構あります。日本人として55年生きて、政治の世界の言葉も含め世間並みの漢字に対する知識はあると思っていましたが、戦前の子どもたちが読んでいた漢字が読めないっちゃーどういうことだ、とちょっとショックでした。

 

そこで今度は分からない漢字の意味を易しく解説している「訳文」を読みました。ところが、この「訳文」が翻訳者によって恣意的なのかどうかまでは分かりませんが、結構違っているんです。例えば教育勅語の冒頭は「朕は」という言葉で始まっていますが、これを「私は」とだけ訳をされているものがありました。「私は」という言葉だけだと、世の中の多くの人が主体的に「自分は」と言っているように読み取ることも出来ます。つまり「朕は…と思う。」を「私は…と思う。」と訳をしてしまうと、原文の意味を正確に表しているとは言えないという事です。なぜなら教育勅語の主語が誰なのかを把握することが、これを読み解く一つの大きなカギになるという事です。

そして、夫婦仲良くとか友達を大切にしなさいという言葉が続き更に最後に、国に事あれば全てを国にささげなさいという内容で締めくくられます。

 

ヨーロッパでは「ノーブレスオブリージュ」という言葉があります。社会的地位がある人たちが普段市民の税金などで食べて過ごすことができるのは、いざ事あらば「税金で食べさせてもらっている人々」が税金などを納めている人々を守る為に前面に立って自分を犠牲にするからだという考え方です。一方この教育勅語の最後の部分は、普段も政治家などを税金で食べさせている「市民」が、事が起こった時も前面に立って国を守りなさい、という事です。

 

戦争はそのほとんどが国家間で起こり、戦争をおこすのは政治家です。しかし今の戦争で実際に戦うのは、戦争をおこした当事者たちではなく、正確な情報などを得られない立場にある市民です。あまり詳しくわかっていない者同士、憎しみ合ってもいない者同士が殺しあうというのが今の戦争です。かつてのように為政者が体を張って戦場に行くという事はもうないでしょう。そういう意味においても、教育勅語は既に時代と合っていない、と私は思います。

 

今回の森友問題が起こって、人と議論をするとき、当たり前かもしれませんが、焦点を自分で整理し出来る限り客観的な視点でそれを見ていくという事が重要だと改めて認識しました。森友学園に子供を通わせていた保護者の皆さんは、自身で教育勅語を読み解いたうえで通園させていたんでしょうか?もしそうだとしたら、それはそれで注視しておかなければならない世の中の傾向だと感じます。

| ミホ | 11:04 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
学校

全校に全国学力テストが導入されて何年もたちます。

最近特に思うのは、学校って何するところだろう、ということです。

基礎学力と社会性を身に着けるところ、という回答が多いのでしょうか?

では、基礎学力って何だろう?算数と日本語と歴史と…。数学まで必要だろうか、とか化学や科学や英語は基礎学力の内だろうか、などなどつらつら考えます。

私の親友は、理系であり文系の人間です。数学テストで全国で5番以内に入ったかと思うと絵や作文で総理大臣賞を貰ったりしていました。その彼女と話していた時、ハタと気付いたのが、文学的な「物の考え方」と数学的な「物の考え方」がある、ということです。結論は同じになってしまっても、導く過程や視点が違っている場合があって、当然結論が違ってくることもあるのです。

理系的な発想と文系的な発想、それはそれで両方とも面白い。

 

でも基礎学力って何だろう、という疑問はまだ残ります。

 

学校で身に付けるのは「学力」なのか「教養」なのか、この辺りに回答が潜んでいるように最近思うようになりました。

英語で言えば「STUDY」なのか「EDUCATION」なのか、ということです。

 

社会に出て、いわゆる一流の大学を卒業している人の中にもかなりの割合で仕事が遅くて不正確な人がいることが分かりました。その人たちは、学校で学力を身に着けることには成功した人たちなのでしょうが、自分の個性や特性、向き不向きを把握できなかったのかもしれません。そしてまた今の日本の社会では、そういう人を受け入れる土壌が少ないというのが実情で、それが会社においてのパワハラなどに結び付いているように思います。しかし、割合から言えば一流の大学を出ている人たちの方がより的確な仕事をする人が多いというのも事実でしょう。

 

一方で「教養」とは、養老孟司さんの言葉を借りていえば、「人の心がわかること」だそうです。

また「人が学習して得た知識を全て取っ払った後に残るもの」という言葉も聞いたことがあります。

つまり知識をぎゅうぎゅうに詰め込むことではなく、そこに事実や推論を交えて考える事、ではないかと思います。

例えば白村江の戦は、663年に韓国で起こった戦争で、日本と百済の連合軍が新羅と唐の連合軍に敗れた戦いである、ということは歴史の授業で習いますから、何となく覚えている人も多いと思います。しかしなぜ日本は百済と、中国は新羅と連合したのか、敗れた日本側はその後国際政治の中でどういう立場に立ったのか、そこまで知っている人は少ない、つまり知識として知ってはいても歴史を知っているということにはならない、と私は思います。

前述の親友は、数学のテストで応用問題を読んで自分で公式を導き出せるのです。私のような凡人はまるっきり逆で、公式を丸暗記して過去問を繰り返しやってその公式が出題されるときの応用問題の傾向を覚えておいて問題を解く、というパターンなので、理論などは全く分かっていません。つまり公式という知識はあっても取り払った後は何も残っていない、という事です。

数学の公式は、物事を正確に捉え理論的に解読してきた人たちの力によって出来上がってきたものだと思います。つまりそこには正確に物事をとらえる力が養われているという事だと思います。それは社会で生きていく上で必要な一つの要素でもあります。あくまで一つでしかありませんが…。

このように色んな分野において、必要な一つ一つの要素を身につける、私はその積み重ねを行う所が学校であるように思います。

 

大阪の「みんなの学校」として有名な大空小学校の約束事はたった一つ。「自分がされて嫌なことは人にはしない」。

そういう力を養老孟司さんは「人の心がわかること」と表現されているのではないかと思います。

私は、学校というのは「学力」よりも「教養」を身につけさせることに、その力を注いでほしいと思います。それが人間が暮らしやすい社会の作りだしていく大きな力になる、私はそう思います。

| ミホ | 14:03 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
アメリカ大統領ミスタートランプ

アメリカ大統領、トランプ氏が就任しました。

オバマ氏の時もそうでしたが、日本はアメリカ大統領については本当に敏感に反応しますね。今の日本とのつながりから言うと当たり前のことかもしれませんが。私は勿論関心は持っていますが、これまでの大統領について、当人以外の家族について妻以外はあまり知りませんでしたし、マスコミもそんなに報道していなかったと思いますが、今回は家族も政治に関係してくる可能性もあって、元妻の子どもたちの事まで、皆さん既に知っていますね。そういうことも含めこれまでとは全く違う大統領が誕生したとほとんどの人が感じていると思います。

(Wikipediaより引用)

 私が最初にトランプ氏の事を報道で知ったのは二年位前だったと思いますが、私同様多くの人がその程度で、政治・行政の経験が全くない人がまさか本当に大統領になるとは、というのが大方の見方ではないかと思います。

 

就任演説を聞きましたが、創業したばかりでこれからその業界に打って出ようとする企業の創設者の社内挨拶に様に思いました。業績を上げて自分の会社の人間を増やし、会社を豊かにし社員に還元する、簡単に言うとそういうことを仰っていたように思います。

経営者としては当然な考え方だと思いますが、私が疑問に思うのは彼の言う「社員」の中に障がい者や貧困な高齢者などいわゆるマイノリティーと言われる人たちが入っているのだろうか、という事です。オバマ氏が創設した日本でいう国民健康保険も見直すという事を早速発表されており、働けない難病などの疾病患者の中には、再び不安定な生活を強いられることに大きな不安を感じておられる方もあるようです。

 

また、小規模の会社であれば対外的なことは二の次で、まずは自社が生き延びていくことに一所懸命になるということは分かりますが、色んな意味で現在世界で一番大きな国であるアメリカが自国のことを優先するあまり、他国を排除していく姿勢を打ち出していることにも不安を感じています。排他で生まれるのは、する方もされる方も憎しみだけです。元々アメリカは差別がはっきりしている国で、それが益々助長されるのではと考えます。今トランプ氏がターゲットにしているのは、メキシコからの移民とイスラム教徒です。しかしアメリカには東海岸を中心にWASP思想があって、白人以外を差別する土壌があります。従って有色人種もその的になる可能性もあるのではないか、ということを強く思います。差別はいじめと同じで、する方はあまり意識せずともされる方は強い気持ちを残します。私も以前ボストンで明らかな差別に遭ったことが何度もあり、最初はビックリしました。彼らの意識ははっきりしていて、それは他国に行っても同じです。そのことを初めて知ったのは、東京で私の誕生日をお祝いして友人の家でパーティーを開いてもらった時、特にアメリカ人はパーティーの主催者をよく知らなくても友人から誘われると参加する人が多いのですが、私の全く知らない人が何人も参加してくれました。その中の数人が、私が話しかけても全く無視するのです。その人たちを連れてきた私の友人にそのことを伝えると「彼らはWASPだった!ごめん!」という事。私の誕生日だという事を伝えず、単にパーティーがあるから行こうということで誘ったらしく、彼らにしても来てみたら話もしたくない日本人の誕生日だった、という所だったと思います。しかし大変なエリートである彼らが、日本に住んでいてもその姿勢を変えない事に私は何とも言えない不気味なものを感じました。

 

経営と政治は似て異なるものだと私は思っています。

どうか世界のリーダーであるアメリカが、人々の憎しみや悲しみを助長させることなく、世界の平和に貢献していく国家であり続けてくれるよう願っています。

| ミホ | 13:32 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
香港

あけましておめでとうございます。

 

1996年〜1998年まで香港で働いていました。

香港がイギリスから中国へ返還されたのが1997年ですので、返還の年を挟んでの3年間です。

それ以前にも香港には7回か8回位個人で旅行していたので、友人もいて中国へ返還されることについてどう思っているのか聞いたことがあります。何故なら97年以前に香港からカナダなど複数のパスポートを持つことを許される国への移住が盛んにおこなわれていたためです。自分の母国に戻ることがなぜ香港の人たちを不安にさせているのか、外国人の私にはまだまだ理解できていませんでした。

 

89年、天安門事件があった時香港では中国の民主化を求める大規模なデモが行われましたが、そのデモを先導した香港人の方に聞いた話がとてもわかりやすかったのでご紹介します。

「自分たちは阿片漬けになった母である中国が膨大な借金を抱えたため、イギリスに養子に出された子どもみたいなもの。養母はそんな自分に最高の教育を身に付けさせ、世界で通用できるまでに育ててくれた。そんな時突然実母が自分を返せと言ってきた。その母親を見ると、教養はなくみすぼらしく汚い言葉で喋り痰をそこいら中に吐くそんな女。しかし本当の母親への思いがあることも事実。我々香港人はそんな状況に置かれている。」そういう内容でした。

 

50年は「一国二制度」を保障していたはずの中国政府が、最近干渉を強めているという事が報道されています。

 写真の女性は、中国政府の干渉に対し反対の立場で議員に当選しましたが、議員としての宣誓を行う時中国への侮蔑的な表現を使ったということで、先日中国政府から議員の資格をはく奪されました。つまり、議員としての活動は全くできなかったという事です。私は、彼女たち(もう一人若い男性も同じ状況になっています)のやり方は稚拙で本人が言っている通り、議員としての活動を期待して一票を投じた有権者への責任が果たせないという事は問題があると思います。しかし、議会の問題を香港議会が判断せず、香港政府や香港の司法も判断せず中国政府が判断しているということには大きな疑問を感じています。香港の未来に光を見ることができるのは、彼女のように民主化を保障するために動いている多くが若い世代であるという事です。ただ、「一国二制度」は50年間と最初から中国政府は言っていますからから、2047年以降は、どうなるのかわかりません。香港の人たちは非常に現実的でお金に厳しい人が多いと思います。同時にエネルギッシュで享楽的で楽天的な側面も持っているように思います。そんな彼らが今後どのような対応をしていくのか注目しています。

 

民主主義は、自分の意見を自由に言うことを保障されるところから始まります。香港の今の状況は実は全ての民主主義の国へ通じることです。つまり政府がその気になれば真綿で首を締めるように少しずつ少しずつ意見表明が出来ない民衆を作り上げていくことが容易にできるという事です。

 

私は今年も自由を愛している人たちを愛し、表現を阻害するあらゆるものを憎みながら粛々と自分の役割を果たしていきたいと思います。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 


 

| ミホ | 12:59 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
政治

12月24日は父の命日でした。9年前のあの日朝家で闘病していた父の様子を見に行くと、牛乳を飲みながら新聞を読んでいました。

暫くして「横になる」と言ってテレビのある部屋に置いてあったベッドに横になった父の肩を揉んでいると、一見眠ったように見えた父の様子が変で、呼びかけてみましたが反応がなく、休日だったその日、たまたま家にいた兄に電話をかけて呼び出しました。

兄が駆け付けたとき、既に心肺停止状態だったらしく、心臓マッサージをしながら救急車を呼び、胸にたまっていた血を吐き出させると心臓が再び鼓動を初めそのまま救急車で病院へ連れて行かれました。結果としてそのまま意識が戻ることは有りませんでしたが、あと1時間程度しかもたないと言った医師の予想を裏切り8時間以上頑張ってくれたので、父方の兄妹や親せきなど主だった方々と最後のお別れをする事が出来、また病院を持っている兄が簡単に休めないことから、どうやったら患者さんに迷惑をかけずにお通夜や告別式を行えるかなど、十分に打ち合わせをすることも出来ました。

 

良い最後の迎え方だったと思います。その父は組合運動を通じてずっと政治に関わってきたものの、自身が政治家として活動したのは12年間で、今年議員14年目を迎える私は、政治家としての経験は父を追い抜いたことになるのだと改めて考えています。

(天神で演説する父)

 

これまでの経験と最初に父から教わったことなども併せて思う事は、同じ議員でも国・県・市町村では役割が違いますし、同じ政治家として一括りになりますが、首長とは全く違うという事です。

太宰府市議会議員だった時、私が心に銘じていたのは執行部の監視や条例の立案などいわゆる議員としての役割以外に、法律や条例などの枠組みから漏れてしまっている市民の声を聴き、それを政策に反映して執行部に提案する、という活動です。それが市町村にいる議員が果たさなければならない大きな役割です。枠組みから漏れている人たちのために自分がボランティアなどで働くことも大切なことですが、政治家がその活動だけというのは課せられた市民の負託にこたえているとは言えない、と私は思っています。その問題を政策に深化させるのが基礎自治体議員の役割ではないかと思います。

 

県はどうなのか。市町村とは違うのか。私が今思っているのは、勿論議員の役割である執行部の監視や立案という基本的なことは同じですが、例えば太宰府市では18名の市議会議員ですが、県議は1人であるように数が少ないということからも、市町村議員のような地域に根差した活動は困難です。しかし申し上げたように法律などから漏れた方々の課題が県政の課題であることは少なくありません。それを知るためにも市議会議員との連携は欠かすことができません。つまり、県がしなければならないことを県に働きかけることによってより広い範囲で県民の福祉向上につながるという事だと思います。例えば、昨年9月議会で大学生向けの給付型奨学金について執行部の考えを聞きましたが、その時県では担当が決まっていないという状況でした。つまりまだ誰も質問したことがなかったという事です。しかし今年の夏の選挙では全ての政党が公約に給付型奨学金制度の創設を掲げ、実現する運びになっています。この事も、地域の議員さんとの意見交換の中で出された市民の現状から考えて政策として提案したものです。

逆に私から市役所や市議の皆さんにいち早く情報を提供する、ということもあります。例えば来年道路交通法の改正によって自動車免許の制度が変わります。また、中小企業にお勤めの方々に対して納税面で、経営者側が果たす新しい役割が出てきます。こういったことはできるだけ早い時期から市民に周知することが大切ですから、県からわかりやすい図などを入手してお伝えするようにしています。市議時代にこういうことを考えたことは有りませんでしたが、県議となって初めて「架け橋」という役割を強く認識しています。

 

来年はどういう年になるのか、私が出来る事を更に精査しながら、多くの皆さんが太宰府は住みやすいと感じて頂けるよう自分の役割を果たしていきたいと思います。

どうぞ、良いお年をお迎えください。

| ミホ | 13:22 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

Calendar

1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930     
<< April 2018 >>

Sponsored Links

Profile

Search

Entry

Comment

Archives

Link

Feed

Others

無料ブログ作成サービス JUGEM

Mobile

qrcode