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カッコいい

ボクシング関係のニュースが頻繁に流れています。

現在話題になっている方も日大の理事長までされている方も、最高責任者として表には出てこられません。

基本的に組織の実務は事務局や総務が行っており、会長などの代表は組織の責任を問われるような事態が起きたとき、そのことについて最低でも責任者としての見解を述べるべき立場だと思います。

 

最近スポーツ関係で上に立つ人の在り方のようなものが問われることが多いですね。

スポーツは心身を鍛え礼節を学ぶ上で非常に有効な手段だという方が多いと思いますし、それも事実だと思います。

しかし今渦中におられる方々はその道をある程度極めたはずなのに、ルールを守るという人として最低のことすら置き去りにして、一体現役の時何を感じてきたのでしょうか?

 

必然的な理由もなく人に頭を下げさせるというのは、そんなに気持ちがいいものなのでしょうか?

あるいは、感情に任せて人を怒鳴るという行為も気持ちがいいものなのでしょうか?

指導する事、諭す事、相手を出迎えたり見送る事、それらの行為には自分の気持ちが込められて初めて相手に伝わるものではないかと思います。私はそういった心を抜きにした形骸化した行為がそんなに気持ちがいいものとはとても思えませんが、それがいいと思う人たちが一定数いるという事でしょう。そしてそういう人は昔もいて、今の時代に人々にも影響を与えているという事だと思います。心を込めたふりをしてお辞儀をしている人々を見て、私もそうされる人になりたい、そういう人はカッコいいと思う人々は人のもっともっとカッコいい姿を知らないという点ではかわいそうなのかもしれません。

 

どっかのCMで子どもに必要なのは集中ではなく夢中なのだと言っていますが、子どもの頃夢中になる事柄というのは本当に多岐にわたっていて、今思えばなぜこんなことに?と思う事に夢中になっていたりします。

その夢中になっている時のカッコいいは決して他人の物ではなく自分の描くかっこよさなんだと思います。

そのカッコいいが沢山ある人ほど、社会に出てからのカッコよさ以外に自分オリジナルのカッコよさを持てる人で、そういう人は間違っても頭を下げさせる人間の数が多いことをカッコいいとは思いません。

 

私たちは子どもたちが夢中になれることを今どれくらい社会に残しているのでしょうか?

スマホなどによって機械に夢中になる機会は多いと思いますが、自然界の中にある化学、生物学、工学、音楽や絵画、芝居などの芸術、モノづくりや料理など、色んな事に夢中になる子どもが増えれば、今話題になっているかっこ悪い人々が少しは減るような気がします。私たち大人は色んなカッコいいを子どもたちに見せるべきですね。

| ミホ | 14:15 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
環境

西日本で発生した豪雨災害に遭われた皆様に心からお見舞い申し上げます。

 

昨年は朝倉で線状降雨帯という言葉を初めて聞き、今年はそれが各地で発生して大規模な被害をもたらしたという事です。

そして朝倉での被害を拡大させ、今後の教訓とすべきだと言われた「自分の所は大丈夫」という気持ちやため池の決壊防止策の必要性などが今年はあまり生かされていたなかったように思います。

 

近年地球環境は実は我々が思っているよりもはるかに速いスピードで変わっていっているのではないでしょうか。

もう「五十年に一度」や「百年に一度」という言葉が使われすぎて、本当に百年に一度なのか信じられない人が多いと思います。

その環境の変化に気付いた人から何かを始めなければなりません。しかしもう個人で対応するという段階ではなく、実は国レベルでの喫緊の対応が必要なのではないかと思います。私たちは空調などで日々快適に過ごしているため、自分の環境がおかしいという事に非常に鈍感になっているような気がします。

 

人間は自分が生活している環境が快適であればあるほど、その環境が異常であることに気付かなくなるのかもしれません。それは単に自然だけの問題ではなく、社会環境においても言えると思います。

先日文科省のエリートが立場を利用して大学への便宜を図り、その見返りに自分の子どもの入試得点を水増しさせて入学させたという事件が起こりました。これもまさしく自分が置かれている環境に馴らされ、自分の言動の正常性を見失ってしまった例だと思います。

 

いわゆる社会的地位が高い人々に多くの人は敬意を払った言動をします。そこでおこりがちなのが、敬意を払ってもらったほうが、自分がエライと勘違いすることです。勿論その地位に行きつくまで本人の努力もあると思いますが、その地位というのは先人が努力して人々に尊敬されるよう築き上げてきたものだからこそ尊いのだということを忘れてしまう事が勘違いの元のように思います。

 

例えば頑張って一流といわれる企業に就職した人間が、周りが凄いねという言葉を自分が凄いねと言われていると勘違いするのと似ています。その凄いねはその会社が凄いのであって本人が凄いかどうかはこれからの問題です。件の文科省のエリートもその地位が凄いのであって、本人がすごい人材であるという事とは別です。

 

私たちは自分が置かれている環境が自然環境も含め本来の在り方なのかどうか、常に客観的視点を持つことが必要なのだと思います。それは偉いと言われる人々だけではなく、すべての人が自分の在りようを別の視点から見ることを訓練するだけで、この世の中は随分と暮らしやすくなるような気がします。

| ミホ | 11:47 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
ネットの中にあるもの

私はあまり機械に詳しくありません。何とか見様見真似でスマホとかパソコンを使っている程度です。

最近物忘れが激しい私としては、固有名詞などを忘れたときや旅行の行き先などについてスマホで簡単に調べられるのは大変重宝しています。更に相手に今連絡していいかどうかわからない場合、伝える内容をメールやラインで兎に角送っておくことで、伝えることそのものを忘れてしまうことを回避することが出来ます。

 

しかし、電車の乗客のほとんどがスマホにかじりついている姿を見ると、かなり異様な感じがします。

なぜそこまでスマホが必要なんだろう?多分スマホの中で本を読んだりゲームをしたりしている人が多いのだとは思いますが、

ひたすらネットを見ている人ももしかしたらいるのかもしれません。

 

私の知り合いの市議の女性がネット上で批判の的となり、ネットの中だけではなく実際に着払いで物が送られてきたり、殺すというfaxが送られてきたりしています。議員だけに限らず、思想信条は違っていて当たり前です。むしろ皆が同じ考えであることの方が全体主義として懸念されるべきことだと思いますが、ネット上で匿名で批判を繰り返している人たちを見ていると、意見が違う事が許せないのですね。私の知り合いの中には当然ながら私と考えが全く違う人もいます。必要があれば自分の考えについて相手に伝えることもありますが、相手の考え方を変えようという思いは今は全くありません。若い時はなぜ自分の考え方に同意してもらえないのか、つまり自分の考え方が一番正しいと思っていたんですが、理解に苦しんだこともありましたが、だからと言って相手を個人的に批判するという事とは結び付くことは有りませんでした。思想信条が全く違っている場合、それを踏まえた上で相手とさらに親しくするのかどうかを決めるのは自分ですから、相手の考え方にどうしても我慢できないのであれば、距離を置けばいいだけの話です。

 

先日福岡市内でネット上のトラブルが原因で殺人事件が起きました。会ったこともない相手を双方で批判しあい、結果として殺意を抱くほどになったという事でしょうが、私はその中にある人の心の闇が恐ろしいと感じます。

 

人は、怒りを物凄いエネルギーに変えることができるという事を議員という仕事をしていると肌で感じることがよくあります。喜びや笑いよりも恐らく怒りというものは人に凄いエネルギーを与えることがあります。上記した女性議員へ繰り返し暴力的な言葉を送り続けている人も殺人を犯している人もそうですが、このような爆発的な負のエネルギーの前で人は本当に無力です。しかし、なぜ人は殆どきちんと話をしたこともない人に対してそこまで怒りを感じることができるのでしょうか。

 

私は人の怒りのエネルギーがこのパソコンやスマホといった小さな箱の中で恐ろしく増幅されるような気がしています。

あまりに小さな世界で決定的に視野が狭窄しているため、本来なら目に入ったり耳にしたりすることができる他の情報が遮断されてしまうことが、その理由のような気がします。勿論ネットから情報は得られますが、それは自分の怒りを増幅するための物だけを自分で選択しているので、パソコンから目を外せば本来なら自然に入ってくる様々な情報がない、酸欠のような状況であるように思います。その苦しさを軽減するために怒りを具体的な言葉にして相手に伝えたり、暴力的な言動で怒りを表現することになるのではないのか、そういう気がします。

 

ネットの中には、楽しい事、愉快なことがいっぱいありますが、光があれば必ず影が出来るように、使い方によって魔物が住んでいるのだと思います。負の影に支配されないためには、自分を見つめること以外ないように思います。人は便利なものを作ってはその負の部分への対応に迫られる、この事を繰り返しているようです。

| ミホ | 14:18 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
セクハラ

「「セクハラ罪」という罪はない。」麻生財務大臣は仰いました。確かにそういう罪名はありません。

 

私は自分が世間に声をあげなかったことを後悔しています。

 

私が20代、男女雇用機会均等法が施行されて直ぐの頃、社内において特に飲み会の際など、男性上司が女性の体を触ったり、卑猥な声がけをする事は当たり前のこととして捉えられていた時代でした。むしろそういう行為をさせた女性の方に隙があるとされていました。

 

私は営業で、ある大手の調査会社の担当をしていましたが、相手は40代の男性部長でした。相手の時間に合わせて営業活動を行っていましたが、次第に就業時間を過ぎた時間を指定されることが増え、(当然こちらの負担で)夕食の接待をせざるを得ませんでした。しかし、私は自分が偉くなったような気分にこそなれ、それがセクハラにつながるとは全く考えていませんでした。

しかし相手は段々露骨になり恐ろしく感じ始めたものの、この仕事を失いたくないという思いから必死に我慢していましたが、ある日とうとう同伴喫茶という所に連れ込まれ、乱暴されそうになりました。なぜ同伴喫茶についていったかというと、一階は全く普通の喫茶店で二階がパーテーションで仕切られた個室空間になっているという作りで、当時同伴喫茶というものの存在自体知らなかった私は、個室で仕事の話が出来るとむしろ喜んでその中に入ったのです。

 

その時は、相手を靴で殴って逃げ出したのですが、なぜそうなるまで黙っていたのか、あるいはついていったことで相手に了承したという誤解を与えたのだからお前にも責任があるとか、女は使えないという評価をされることが怖くてしばらくは誰にも言えませんでした。しかし最低でも相手をケガさせたのか、もしそうだとしたらどういう具合なのかを確認する必要がありますから、とうとう部長に報告しました。結局相手は怪我もしておらず翌日から出社していたという事でしたが、その時私は世の中に対してもきちんと声を上げるべきだったのです。声を上げないという事は、そういう事が続く可能性が高いという事です。恐らくあの時代私と同じような思いをした女性が相当数いたと思いますが、声を上げる勇気がなかったのです。

 

今回の報道で見ていて、我々があの時代勇気をもって声をあげなかったために、未だにあの頃と考え方が変わっていない男性がいるのだという事が良くわかります。

 

キャリアアップを考えている女性にとって「こんな問題があるから女は使えない」という理不尽ですが、現実には行われがちな評価を受けることがどんなに苦痛であるか、私ですら想像できます。それを覚悟の上で声を上げた女性たちのその勇気には本当に頭が下がります。相手の同意を得ないで会話を録音したという事を批判される方もいますが、立場が上の人間を糾弾する場合、正当な方法だけでは困難であることも理解して頂きたいと思います。

 

世の中にはいろんな男性・女性がいて、すべての人たちが常に正しい行動をしているとは思いません。仕事をして入れば、男女を問わず不合理な目に合うことは沢山あります。しかし女だからという事だけで不合理な不利益を受けることが、その逆よりもはるかに多く起こっているという事は事実です。私は多くの働く女性は、性に関わらず自分の仕事の内容を純粋に評価してほしいと強く願っており、そういう女性の願いを少しでも早く実現するために声をあげている女性たちを素晴らしいと思います。

 

| ミホ | 12:02 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
香り

薫風漂う季節になりました。

自然の香りは、私たちの心や体に優しく触れてくれます。お料理の香りも見た目同様食べる人間にとって大切な要素ですし、食欲も増してきます。

 

今朝の西日本新聞の論説にも書いてありましたが、昨今の人工的な消臭というのはいささか病的になってきているように思います。

お部屋の匂いも洗剤の匂いも、全て同じような匂いになっていて、その中で生活している特に子どもにとっては、本当の自然の匂いというものがわからなくなってきているのではないか、と思います。

先日ある道の駅で子どもたちの会話を聞いていた時のことでした。人工的に作られた甘い苺のような香りを持つ芳香剤を手にした一人が、別の子どもにつわぶきを指して「この棒みたいなのくさいね」と話しかけていました。

もし、自然の風・草木・動物の匂いをいい匂いだと感じる気持ちが育っていないのだとしたら、それはとても悲しいことだと感じました。人工的な消臭剤と洗剤の香りだけに包まれて育つという事は、それはそれで恐ろしいことだと私は思います。

 

人間も年齢を重ねると、色んな匂いが出てきます。でもこれはある程度自然であって仕方がないことです。

確かに飛行機などの狭い空間で、強い体臭や口臭は迷惑です。しかしいくら高価なものであっても強い香水もまた迷惑です。

 

偉そうなことを言いましたが、私も他人の評価を気にして自分の匂いには敏感になっています。

あまり気にしていないようなのに体臭がない人もいます。一方で大層気にされているのに申し訳ないけれども、強い体臭を持つ人もいます。これは食べ物や生活習慣も関係あるんでしょうか?多分そうだと思います。

体型だけでなく体の匂いをコントロールするために生活習慣を整えていくというのはまた窮屈な生き方になるような気もしますが、多くの方はどのように対応されているんでしょか?

 

皆さんは、自分自身の香りを作っていますか?

それとも何もせず自然の香りに任せていますか?

 

 

| ミホ | 16:46 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
眠る事

先日家の近所の焼き鳥屋さんに行きました。仕事が遅くなって店に入ったのは10時近くなっていたと思います。

そこには二組の家族がいて、就学前か低学年の子どもが一人、幼児が二人の合計三人の子どもがいました。

どれくらいそこにいたのかは知りませんが、子どもたちはすでに食べ終わっていて大きな声を出しながらお座敷の中を飛んだり跳ねたりしていました。その子どもたちの態度を父親・母親が叱っていましたが、使っている言葉があまりに汚いので、むしろ周りの顰蹙を買っていたのは両親の方だったと思います。

こういう時、おばさんである私は一体どういった態度を見せればいいのか、悩んでしまいます。そもそもこんな時間に低年齢の子どもが居酒屋さんにいる事自体に、おせっかいなおばさんは怒らなければなりませんが、なかなか難しい問題です。

 

しかし、今回問題にしたいのは睡眠についてです。12月議会で睡眠負債について取り上げましたが、この言葉は昨年の流行語ベスト10に入っていましたし、ノーベル生理学医学賞の受賞理由は、体内時計のメカニズムの解明でした。今、眠るという事がいろんな方面から注目されています。睡眠を司るこの体内時計はほぼ就学前に出来上がるという事でした。つまり就学前にきちんとした睡眠習慣を持っていないと正しい体内時計が作られないという事です。そして福岡県では夜10時過ぎに就寝する子どもの割合が6割を超しているというデータがあります。

 

睡眠負債を抱えている人が、がんや高血圧・糖尿病を発症する率が平均より高くなっており、何より睡眠障害を発症する人も増えているという事です。睡眠障害というと不眠症を連想する人が多いと思いますが、より深刻なのは過眠症です。この過眠症にもいろいろなタイプがあるようですが、兎に角眠ることを自分でコントロール出来ないため、社会生活を営む事が困難になります。

こういう睡眠による社会損出は2016年度16兆円にも上ると言われ、まだ表面には出ていませんが、今後社会問題になることが考えられます。

 

睡眠というのは我々が考えている以上に、私たちの体や心に与える影響は大きく、その基礎となる体内時計をきちんと作るために、まずは子どもたちにしっかり眠る習慣を身につけさせる必要があります。

 

世の中の保護者の皆さん、大人の生活に子どもを合わせるのではなく、子どもとの時間が終わった後で大人の時間を持つようにして、子どもには安らかな眠りをあげてください。

| ミホ | 16:13 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
改ざん

昨年から太宰府市内にある44の自治会で議会報告を行っています。先日その報告会で、ホームページの更新を怠っているという指摘をいただき、まったくもってその通りで、忙しさを理由にかまけていた自分を反省中です。

 

この間、我が国の公務員たちの倫理観を問われる事案が発生しています。

8億円国民に損失を与えても平気であったり、法律を定めるための議論の材料となる正確性が求められる数字のデータがでたらめだったり、自衛隊が派遣された場所が、戦闘地域である可能性が高いことを示す報告書を紛失したと言っていたり、後から後から出てきます。

我々議員は、執行部と議論する場合、自分の手元に様々なデータが必要です。そしてそのデータは自分で収集することは大変困難で、時間と経費がかかるため、執行部に提出してもらわなければ、議論の展開が難しくなります。その資料がでたらめであったり、秘匿されているかもしれないという疑いがあると、私たちの議論はまるで意味を持たないものになります。つまり、国民同様議員と公務員の間にも信頼関係がなければ、議会制民主主義はうまく機能しないという事です。

公務員は憲法を順守し、全国民の奉仕者として働くことが憲法で定められていますが、一般企業同様、自分の上司や自分がいる組織の方だけを向いて仕事をしている人が増えているという事なのでしょうか。

 

話は全然変わるようですが、最近私も含め文章を書くとき手書きの頻度が極端に減っています。パソコンで報告書やこのブログを書くのは本当に便利です。何度も何度も推敲し書き直したものを、書き直した後を残すことなく作成できるからです。

昔、手紙を書くという作業、特に目上の方に対して手紙を書くという作業は、ほぼ半日を費やさなければなりませんでした。

仕事上でも、私が就職したころは既にワープロがありましたが、それ以前、文書を作るには膨大な時間が必要だったと思います。私は、今回の文書の改ざんや秘匿には、文字を書くという作業が手軽になったという事が悪い意味で作用したように思います。

何度も何度も間違えたり悩んだりした文字を一生懸命手書きした文書というのは、書いた人も読んでいる人にもその熱さのようなものが伝わっていたのではないかと思います。つまり、単なる報告書ではなく報告者の本当の想いや思想まで読み手に伝わるような文書を簡単に改ざんなどできないのではないかと思います。

 

私たちの生活は便利になりました。携帯電話があるおかげで見知らぬ土地で待ち合わせをしても行き違いになるというようなことは殆どなくなりましたし、思いついたらすぐにメールしておけば大切なことを伝え忘れたという事も少なくなりました。

一方で自分がどこにいても仕事から離れることが出来なくなり、本当に本当に大切な思いを言葉で伝えるという難しさを知らない人たちが出てきているように思います。

 

私たちの生き方は改ざんできるはずもないのに、このままいくと、ちょっとまずいと感じたとき、自分の過去が実際とはまるで違ったものであったような言動をする人が増えてくるのではと感じます。

| ミホ | 10:32 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
太宰府市の混乱について

前回のブログで、議会を解散させず市長自身が辞職して直接市民に信を問うてほしいと書きましたが、市長は議会解散の道を選びました。

これから市議会議員選挙になるのですが、何を争点とした選挙なのか、恐らく当事者である議員もわからないと思います。議長は悪口の言い合いではなく、建設的な選挙をしたいという内容でマスコミに回答していましたが、候補者が通常選挙と同様の訴えしかしないのであれば、この解散は何のためなのか益々意味のないものになります。議員の質を問うものであれば、通常通り4年に一度の選挙で行うべきです。このような解散を強行した市長のやり方に私は納得できません。

 

一昨日、市長の言い分を書いたチラシが私のマンションのポストに入っていました。

 

あまりにも一方的な書き方だったので、私なりの考えを述べたいと思います。

  <副市長解職は市長の専決事項であって、議会の同意はいりません。改革を前に進めるために解職しました。>

  <議会と問題意識を共有し共に進めていきたいと願っています。>

チラシの原文のままですが、この二つが矛盾していることに市長は気付かないのです。

 

議会と共有すべき問題の中には、副市長の資質というのは無いと市長は言っていることになります。副市長の存在がそんなに軽いものであるのなら敢えて解職する必要はないし、副市長の資質で改革が遅滞するほど重い存在であるのなら、それは議会と共有すべき重要な問題です。確かに解職は議決する必要はありませんが、副市長人事は議決事項であり、もし議会が間違った議決をしたと市長が判断したのであれば、その理由を丁寧に議会に説明すべきです。仮に解職するとしても民間企業においても、最低でも一か月は猶予がありますが、8月のお盆過ぎに副市長に直接辞職を勧告し、わずか半月で解職した今回のやり方はブラック企業並みの人事であり、働く人間の権利を無視したこの一事とっても不信任に値するものだと私は思います。

 

  <不適切文書の問題と第三者委員会設置問題の責任をとって自らの処分案を議会に提案しました。−中略− 議会では否決され、理解されなかったことは非常に残念です。>

 

この問題が発覚したのは5月です。もし責任を感じているのであれば、今回のような自身の減給という処分案を6月議会に提案すべきだと思います。そしてそれは市行政全体の問題であることから、自身だけではなく三役及び全部長に対して2割から3割、最低でも三カ月程度は行うべきで、今回のように4ヶ月も経過した後に、自分の報酬1割を一か月減らす、という内容に議会は意味を感じなかったから否決したものだと思います。

 

このチラシには書かれていませんが、市長は教育長に対しても副市長同様8月半ばに直接本人に辞職を勧告し、8月末で解職しようとしていました。しかし教育長は教育委員会の同意がなければ解職できません。あまりにも突然の勧告に対し当然教育委員会が同意するわけはなく、この市長自身の言動で教育委員会との関係も壊しています。辞職させ方も知らないで勧告した今回の言動は、熟慮した末の物とはとても言えないと私は思います。

 

今、駅頭に立つと多くの方から太宰府を何とかしてください、という声をかけられます。現在の混乱は、市長に多くの責任があると私は思いますが、議会ももっと積極的に自ら出て行って説明を行うべきです。議会もチラシを作ったという事ですが、未だに私を初め多くの市民の元に届いていません。こういう姿勢が市民に問われているのだと思います。問題の解決はできるだけ速やかに単純な方法で行う事が必要です。一日も早い解決のために何ができるか、私も皆さんと一緒に考えていきます。

| ミホ | 12:55 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |
不信任決議への市長の対応

太宰府市議会は今日市長への不信任決議を全会一致で通しました。

不信任が決議された以上市長の対応は以下の4つです。

 

 ー任する

◆ゝ腸颪魏鮖兇気擦

 議会を解散させ自分も辞任する

ぁ)…蟯限を過ぎても辞職せず、自動的に失職する

 

それぞれの対応の理由として私が考えるのは

 ,笋覽いなくなった、もしくは再度市長に立候補して直接市民に判断をゆだねる

◆ゝ聴選挙を通して議会を再編させ、自分を応援する議員数を増やす

 △陵由に加えて市長選挙を通じて、同時に市民の信を問う

ぁ,笋覽いなくなった

 

↓のように議会を解散させる目的は、自分を応援する議員の数を増やすためです。しかし今の太宰府市議会において、仮に選挙を行って多少議員の構成が変わったとしても、不信任を撤回できるほど市長を応援する議員の人数を確保することはまず不可能です。新しい議会において必ず不信任が再提出され可決されますから、市長はその時点で今度は自動的に失職します。従って市議会議員選挙を行っても行わなくても市長選挙が行われることは確実です。つまり今回の不信任に関して市議会を解散する事は無意味だという事です。突然の解職によって副市長は不在で教育長は辞任届を提出している今、無意味な選挙に3000万円もの税金が使われ、国政選挙、最高裁審判、市議会選挙、市長選挙による市民や職員の負担、市政の中心を担う3役の内2役、そして議員全員がいなくなるという異常事態の発生、これらが及ぼす市民生活への影響を考えると、早期に単純に事態を収拾することが市長に課せられた役割だと思います。

 

今回議会を解散し選挙を行うと、12月議会での不信任の再提出になります。そうすると市長には期末手当(ボーナス)が支給されます。意味なく混乱を長引かせた上、貰うものは貰うという姿勢はいかがなものかと思います。そんな思いではないことを証明するためにもこの10日以内に辞職し、直接市民に自身の想いを訴えつつ審判を仰ぐ、その方法を選んでほしいと私は思います。

| ミホ | 23:07 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
補償

九州北部の豪雨災害に対し、被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。

 

一番最初にそれを感じたのは阪神淡路大震災の時でした。地震の後の大火災の様子を、ヘリコプターから映し出す映像を家のリビングという安全な場所で見た時に何とも言えない感覚に陥りました。その後9.11や東北の大災害の時も、被災されている方は、炎や津波などの中で逃げ回っていらっしゃるのに、それを同じ時間に全く別の安全な場所で見ていることが不思議で、自分の感覚が変わってくるような恐ろしい気持ちになりました。東北の時は、後ろから津波が迫っているのをテレビを見ている我々は知っているのに、現場にいる市民の方には知らされていない、或は映像で津波が見えるのに、その手前にいる車や人々はビルなどに妨げられて気付いていない、などの映像を見た時、これは映画でもないし録画でもなく、今この時被災されているのを目の当たりにするという事が、とてつもなく恐ろしいものに思えました。情報を知ることは大切なことですが、今それを知ったところで何も手の打ちようがない場合、ひたすら虚しさだけが残ります。

 

今回朝倉では一日に1000ミリというこれまでには考えられないほどの雨量が計測されました。今回のようなケースでは、事前に避難する以外、被害を回避する方法はないと思います。そのためには、気象条件などの情報をいち早く入手した自治体が英断する以外市民の安全を守ることができないのではないでしょうか。また、今回は流出した木材がその被害を拡大しています。それは林業の後継者不足によって山の保全が出来ていない事が挙げられていますが、私は国の施策変換後、何も手当がされていないことも理由にあるように思います。つまり日本の山は本来広葉樹の森です。それを木材を国の産業にするために伐採を繰り返し、お金になる針葉樹、つまり杉を植え続け、その杉がお金にならなくなったら、生活ができなくなった林業者が廃業し山が荒れてしまった、という事だと思います。

今ようやく日本本来の里山の姿に戻すべきだという運動が出てきていますが、国はもっと補償をすすめて根の浅い針葉樹ではなく、きちんと根を張る広葉樹を戻すことによって災害に強く、またドングリなどの広葉樹はイノシシやシカの餌が豊富なので、動物が街なかへ出てくる必要もなくなるよう施策を進めてほしいものだと思います。

 

これから市町村・県・国が総力を挙げて復旧・復興を支援していかなければなりません。被災地への激甚指定、交付税の前倒し支給などの要望は国が認定し実施されますが、細かな補償がこれから発生してきます。私も現地からの情報を速やかに入手し、何をどのようにすればいいのか組み立てて考え微力ながら尽力していきます。

 

このような補償が行われるのは当たり前ですが、時々え?と思うような事案があります。例えば驚いたのは、ファーストフードのお店でコーヒーで火傷したということでお店が訴えられ、確か10億円以上の支払いが行われたことがありました。沸騰していたのかもしれませんが、自分で注意することは不可能だったのでしょうか。最近こういう事例が増えており、企業も自治体も委縮せざるを得ないような環境が出てきているような気がします。

 

補償が必要なのかと疑問を持つことを主張される方の意見を聞くことがありますが、私は、私たちは一人ひとりが本当に補償が必要な人たちに思いを馳せ、まずは自分で自分の行動を考えながら生活すれば、おのずとそういう意見は言えなくなるように思います。

| ミホ | 12:06 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |

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